参加者の声

北野めぐみ

わたしは、千葉県に住んでいます。発展途上国(インド)への旅で、日本では当たり前のことが向こうではそうではない現実に直面して、カルチャーショックを受けてしまいました。

たとえば、肉や野菜の卸売市場へ行って、私たちのチーム14人分の食品を買うことだけでも一苦労でした。日本にあるような「便利さ」がないからです。

でもわたしは、生活の中で小さなことを感謝することを学びました。暖かいお湯が使える時、また、停電が解消し、電気が再び使えるようになった時や、飲める水がある時など、本当に感謝したものです。インドでわたしは、自分の家族と一緒に生活できるその事実だけで幸せで、お互いに一生懸命に気遣いながら生きている人々に数多く出会いました。

彼らは多くの「モノ」は持っていないかもしれないけれど、わたしが気づいたことは、幸せや成功は持ち物では計れないと言うことです。自分たちの生活がどれだけ便利であるか、財布にどれだけお金が入っているかではないのです。わたしは、人生の中で何がもっと重要なのか学びました。

世界中どこに住んでいても、また、背景、宗教、文化が違っても、誰もが今でも慕い求めているものは、愛、つながり、友情、自分を受け入れてもらうということでしょう。わたしは、自国を出て、世界の人々がそのような優しい心を自分に示してくれるのを直接体験しました。

わたしが参加したボランティアプログラムについてですが、脳性まひを患っている子供たちにセラピーを施している施設で補助をしたり、スラム街で拾われた孤児たちが収容されている学校を慰問したりしました。わたしはまた、数多くの大学、高校、小・中学校で行われたヒロシマ・ナガサキ原爆展示会での平和推進活動プログラムにも参加しました。

このプロジェクトに参加することによって、自分の考え方を他の人と分け合い、人々の心とつながる大切さを学びました。わたしが会話した生徒の多くは原子爆弾の影響についてほとんど何も知らなかったので、展示会ではショックを受けていました。そのあと、彼らの考え方は大きく変わりました。わたしが思うに、どんなに小さなことであっても自分にできることを行うことはとても重要だと言うことです。たった一つの人生、あるいは、たった一つの思考様式が変われば、それは、私たちが世界に望むチェンジに向けた一歩の前進ということです。私たち一人ひとりがその役を担っているのです。

下中勇士

 僕が最初にインドに行ったのは2000年(平成12年)末で、ちょうど2001年1月にグジャラートで起きた震災の直前でした。

僕は当時14歳で両親と共に旅をしました。心地よい日本の生活とは裏腹であるインドでの生活ほど、僕のような年若いティーンに必要なものはありませんでした。インドには心地よさがないと言っているのではありませんが、否定しようのない貧しさを目の当たりにして、僕自身の世界は揺り動かされました。もう後戻りはできないと心に誓ったのです。

(2001年1月26日インド・グジャラート州で起こった大地震のとき)でこぼこ道をジープで何時間もかけて震災地ブジへ向かったのを覚えています。確か、行きだけでも、2泊3日はかかったでしょう。灼熱の太陽の下、危険な道を何度も通りぬけ、時にはガス欠になり、砂漠のように果てしのない道を走り続けたのでした。それほど興奮したことは人生で一度も経験したことはありませんでした。

震災で犠牲になった何人もの尊い命と比べると、自分の通っている試練や苦難はほんの微々たるものであることは明らかでした。インドの場合、2011年3月に起きた東日本の震災のような津波による被害はありませんでしたが、ほとんどの家屋は重たいレンガを積み重ねて造られていたため、津波が襲ったかのように壊滅的な被害をもたらしました。初めてのインド旅行で非常に大きなインパクトを受けたため、それから後の4年間は続けて毎年インドへボランティアをするために戻っていきました。

「愛の架け橋プロジェクト」の活動に参加することによって得られた益を考えた時、単に被災者、孤児、スラム街の子供たち、また、障害者を助ける以上に自分自身を助ける結果となったことに気づきました。金儲けと物質主義の世界に両足を踏み入れる段階にある若者の1人として、僕はより良くなること、すなわち、必要を抱えた人に自分の手を差し伸べることを学ぶ機会に恵まれたのでした。

もし、あなたが人生で困難にぶつかっているか、あるいは、方向性を見出せずにいるなら、思い切って一度インドへボランティア旅行をしてみてはどうでしょうか?僕に起こったように、人生が変わるかもしれません。


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