第一回、インドへのボランティア冒険旅行

下中家族12人(下中夫妻と12人の子供の内の10人)、友人の稲葉さん家族3人、若者5人、広島テレビのリポーターとカメラマン2人、計19人の大移動…6カ月間、インドに滞在します!その間、若者達に何かやりがいのあることを…と、インドの貧しい人達に配るための援助物資の調達の呼びかけを、(以前、大家族番組で、広島テレビで取材されていた)広島テレビの方達にお願いしたことをきっかけに、彼らも、インドに同行することになりました。さて、このインド旅行はどのように展開していくのでしょうか?

2000年9月28日(木)  待ちに待った出発!

午前7時15分: 広島のわが家を出発、光(長男、18歳、見送り)も一緒に関西空港に向かう。関西空港って言っても、和歌山寄りですごく遠い。

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午後0時15分:  関空に到着。次男の愛護が手を振りながら中から出てきました。彼は17歳で、東京で勉強をしながら、音響機材関連のバイトをしています。「あ、ちゃんとYシャツにスラックスを履いてるじゃない」 税関を通るので、きちんとした格好をしてくるように言っておいたのです。 えらい、えらい。

午後1時: 長女の恵美真(えみま、19歳)が、見送りに来てくれました。普段は大阪に住んでいるのですが、久しぶりの再会。早速荷物を預ける手続きに入りました。が、1つのスーツケースにライターが沢山入っているので、出して置いて行くように言われました。インドで物乞いに会ったら、お金の代わりにあげるのにいいって旅行用ハンドブックに書いてあったのに・・・惜しい。今度は「スプレー缶がいっぱい入っているようだが、それは何か?」と聞かれ、「虫除けスプレーです」と答える。「何人か?」「17人です」…そのような会話の後、開けなくてもいい…と言ってくれました。また大工用品の箱からは接着剤を出すように言われました。(燃えやすいからだそうです) と言う訳で、預けること、荷物の数33個。ス、スゴイ!もちろん寝袋や小さいバックとかも含めてでしたが、まさかそんなにあるとは・・・。その上、かなりの重量オーバーのはず・・・。だってスーツケースだけでも平均1個当たり25~27kgで17個。それに大工用品にプリンター、変圧器(これがまた大きくて重たい鉄の塊で2つも!)、ビデオデッキ、その他諸々の品がごっそりだったわけですから。きっと一人20kg制限のところ、3倍はいっていたと思います。でも、子供達の笑顔が検査官の心に触れたのでしょうか、今回は特別だと言って通してくれました。ヒュー!(今では厳しくなっているから、こうはいかないかも・・・)

とにかく、一つ一つ税関を通すのに、かなりの時間がかかりましたが、やっと3時少し前、飛行機に乗り込みました。

午後3時10分: 飛行機の離陸時間。子供達はやや緊張気味。まず、韓国に出発!機内食には、そばや弁当みたいなものが出て、4時50分、韓国の金浦空港に無事到着しました。

韓国にて!「荷物がないっ!?」

飛行機の乗り継ぎの関係で、韓国に1泊!空港を出るための手続きに、かなりの時間がかかり、やっと空港を出た時にはもう夕方の6時。タクシーの運転手と交渉して4台にすべての荷物と一緒に乗り込み、泊まる事になっているリバーパークホテルへ・・。旅行会社の人は10分もあれば着くと言っていたのに、なかなか着かない。変だなあ。30分ぐらい経ったときに「メーターは?」と聞くと「空港からのタクシーはメーターではなく基本料金で、1台1万ウオンだ」なんて淡々としゃべる。彼は少ししか英語を話さず、通じているのかどうかも分からないし・・・。でも、飛行機の中で、韓国人のおばあさんが忠告してくれていたので「メーター通りにしか払わないわよ。私だって外国は初めてじゃないんだから、それくらいは知っているわ!」と運転手に言うと、ブスっとして、何も話さなくなってしまった。やっとホテルに着くと、広島テレビのレポーター、Hさんが乗っているタクシーとパパの乗ったタクシーはもう着いていました。Hさんのタクシーはちょうど同じころ着いたばかりで、同行の稲葉さんが1万ウオン払っていました。Hさんは4台で1万ウオンだと思っていたようですが、もう一人の運転手がやってきて、まだお金を貰っていない…と言ってきました。彼女は「そうか、それなら、4台で2万ウオンなのかな?」と言って、さっともう一人に渡しました。すぐに、パパが来て、「僕はもう払ったよ、僕はメーター通り、4700ウオンだけ払った」と言った時には2台ともちょうど出た後でした。「あーぁ、さっそくぼられちゃった!」なんてぼやきながら愛護達のタクシーが来るのを待ちました。彼らは5分ほど送れて到着しました。「このタクシードライバーには、腹をすえて話さなくては…」とパパとHさんで行きましたが、結局5000ウオンは払わされました。

 とにかくやっとホテルについて、部屋に行こうとロビーで話していると、愛護と真澄(3男、16歳)が「僕達の荷物がどこにもない」と言い始めました。あちこち探しましたが、どうしてもありません。真澄のスーツケースには、バイトで貯めたお金が現金で10万円ほど入れてあると聞いて、事態は思ったよりも深刻なことに思えてきました。「タクシーから降ろし忘れたのかな?」とか、あーだ、こーだ、どこでなくしたのか、話しているとTさん(広島テレビのカメラマン)が「どうやら自分達の乗っていたタクシーのトランクに入れたようだけれど、Tさんが一度下ろしたスーツケースを運ちゃんがまた積んで行ってしまったのかも…」と言い始めました。もしくはもし忘れて荷物を降ろさなかったなら、空港に行けば彼はまたそこに戻っているかも…ということになり、Tさんが運よく、車内のメーター横に掲示されていた運ちゃんの顔写真付きの身分証明書をカメラ(さすがプロのカメラマン!逃していなかった。)で撮っていたのを頼りに、Hさん、Tさん、パパ、愛護、真澄の5人でその運ちゃんを探しに行こう…と階下へと下りていきました。その時までには、韓国人の運転手がどさくさ紛れにスーツケースを盗みさえしたのではないかと疑い始めていたのです。すると1台のタクシーがスーッとやってきて、「空港の駐車場に置きっぱなしになっていたよ!」と2人のスーツケースを親切にも届けてくれたのでした。私達がいろいろなタクシーに「リバーパークホテル?」と尋ねていたので、場所がわかったんですって!ホッ!私は安堵の気持ちで胸をなでおろしました。結局自分達が積み忘れていただけだったんだ。それにしても、韓国のような国で、何の得にもならないのに、タクシーの運転手さんが親切に届けてくれて、その上お金も請求しないなんて、天使かもしれない・・・。本当に神様の憐れみであると同時に、これから6ヶ月間生活することになっているインドでは本当に気をつけなくてはいけない・・・と言う事だと思いました。

 それにしても、私達にとっては、初めての韓国。こんなことがあって、たとえタクシー代を少しぼられたにしても、韓国の人達に対する見方が一新したのは確かです。 人をみんな十把一絡げにして…韓国人はこうだ、ではなく、一人一人を異なる個性を持つ人として見なければいけないのだと言うこと、それと同時に、日本に来る外国人に対しても彼らと接する時には、自分は日本の国民を代表しているんだ…という事実に目覚めさせられた経験でした。

 ドタバタ劇場も一件落着。大勢での移動は疲れる。緊張感がちょっとほぐれたところで、ホテルの部屋割りを決め、日本から持ってきたピーナッツバターのサンドイッチや、飛行機の中からの残り物、ツナ缶、インスタントスープなどで夕食を済ませました。それからみんなパジャマに着替え、小さい子供達とママ達は次の日に備えて早く寝ました。何か、パパは大きい子供達と韓国の町を少し見てくる…と言って散歩に行き、安くて手頃なジュースやみかんを見つけてきたようです。それでも夜10時には、みんな部屋に入ってバタン・キュー!パパだけは、ちゃっかりと韓国のビールなんか買ってきて、一人で飲んで楽しんでいるようでした。明日は5時半起きで、6時20分発のバスで空港に行くよ! みんなお休み!


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